2011年6月29日水曜日

元気玉

 「みんな、オラに元気を分けてくれ! にゃ!」



2011年6月25日土曜日

大神山神社奥宮

『 大神山神社奥宮略由緒
主祭神 大巳貴命(又の名を大国主命)
大山は太古より大巳貴命が鎮り坐すお山として大神岳又は大神山と呼び此の所を神祭りの場として居ました。奈良時代より修験道、更に仏教が入り神仏習合説のもと大神に大智明権現の稱名を奉り神官社僧により奉仕し平安時代には此の奥の宮を中心として三院百八十坊僧兵三千の西日本一の霊山となり以来時勢により盛衰を重ねて居ましたが明治八年神仏分離令に依り大神山神社奥宮となり元の様に純然たる神社となりました。
現在の社殿は重要文化財に指定され文化2年(1805)の建築で日本最大級の権現造り、内部には色彩豊に長大な柱や長押の白檀塗は日本一と云われて居ります。
正面の社号額は明治新政府の総裁であった有栖川宮熾仁親王の揮毫である。
御神徳 農耕 畜産 病気平癒 交通 開運 勝運 良縁 』

『大神山神社の3つの“日本一”
1つ目は、大神山神社に続く道を自然石を敷きつめた参道の長さが約700mで我が国最長であること。
2つ目は、社殿が国指定の重要文化財かつ国内最大の権現造りであること。
3つ目は、奥の宮幣殿にある白檀の漆塗りが日本一規模が大きくて美しいこと。ほか西日本最大級の神輿もあります。』

たしかにここのより大きな権現造の社殿は見たことがありません、が、幣殿の白檀の漆塗りの荘麗さが日本一と云われてもピンと来ません、し、石畳の参道の長さなら平泉寺白山神社の方が長かった気がするのです、よ。

大神山神社奥宮(おおがみやまじんじゃ)
鎮座地:鳥取県西伯郡大山町大山
電話:0859-52-2507
祭神:大己貴神
神紋:二重亀甲に剣花角
神階:正五位下
旧社格:国幣小社
式内社 伯耆国二宮
札所:出雲國神仏霊場9番
ご利益:産業発展 五穀豊穣 牛馬畜産 医薬療法 邪気退散

【国重文】
本殿,幣殿,拝殿
(S63.12.19指定)江戸後期 文化2

本殿:桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝三間、総こけら葺
幣殿,拝殿:桁行八間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付、幣殿左右庇、拝殿正面両脇小部屋附属、拝殿左右長廊 各桁行九間、梁間二間、一重、入母屋造、背面本殿に接続、総こけら葺

 大神山神社奥宮は大山中腹に鎮座する。
 社殿は、本殿を最も奥におき、その前に幣殿・拝殿をつらね、拝殿の左右両側に長大な翼廊をもった複合社殿である。本殿内部は素木のままであるが、正面と向拝廻りは金箔や漆などを施して飾り、幣殿の天井は花草の絵でうめるなど意匠をこらしている。
 末社下山神社は、奥宮社殿を一回り小さくした規模の複合社殿である。幣殿の天井に草花の絵を描くほかは、漆や彩色などを施さず簡素なあつかいになっているが、奥宮社殿と同時期、同手法による建築である。
 奥宮は境内の環境もよく、社殿は規模雄大な複合社殿で、意匠・技法もすぐれ、江戸時代後期を代表する神社建築であり、末社もあわせて価値が高い。
公式サイト



ミミタコなほど聞き知ってはいるが訪れるとなると初めての焼鳥や(やな樹)

予算¥3,930(男2人)(ミンチ しそ巻き¥270、セセリ カレー¥230、かつおたたき¥350、しいたけミンチ、せせり、なんこつ、アサヒスーパードライ中瓶x3、サッポロ黒ラベル中瓶x2、他)

 サトーさんとばったり出会す。
 「よお、みっちゃん」通りすがりに声を掛けられた。
 「お久しぶりです、何処行くんすか?」
 ぱぁかな?なんて思いながら返すと「やな樹や」との応え。
 「やな樹さん、一度も行ったこと無いんですよね」などと誘い水。当然、行こか、と誘われた。

 店内の半分は知った顔。鶏の味も悪くない。気心の知れた軽口についつい酒も進む。これでカワイイ娘でも居ようもんなら足繁く通うのかもしれないのだが、その辺りは上手くできた事にオッサンしかいない。おかげで今日も借金を重ねずにいけております。

やきとり やな樹
兵庫県神戸市灘区宮山町2-6-27 第一六甲センタービル
営業時間:18:00~23:00
定休日:木曜



2011年6月23日木曜日

2011年6月22日水曜日

焼火神社

『焼火山(海抜452m)の中腹にある焼火神社は日本海の船人に海上安全の神と崇められている。 旧暦12月30日の夜(大晦日)、海上から火が三つ浮かび上がり、その火が現在社殿のある巌に入ったのが焼火権現の縁起とされ、現在でもその日には龍灯祭という神事が行われている。以前はその時に隠岐島全体から集って神社の社務所に篭り、神火を拝む風習があった。現在もその名残を留め、旧正月の5日から島前(どうぜん)の各集落が各々日を選んでお参りする「はつまいり」が伝承されている。
例大祭は7月23日・24日の2日間、昔は島前中から集って神輿をかついだが、昭和30年の遷宮を最後に廃止された。
江戸時代には北前船の入港によって、海上安全の神と崇められ日本各地に焼火権現の末社が点在している。安藤広重・葛飾北斎等の版画「諸国百景」では隠岐国の名所として焼火権現が描かれている。
社殿は享保17年(1732)に改築されたものであり、現在隠岐島の社殿では最も古い建築とされている。当時としては画期的な建築方法で、大阪で作成され地元で組み立てられた(今でいえばプレハブ建築のはしりとでもいおうか)。平成4年には国指定の重要文化財に指定された。城を偲ばせるほど広大な石垣の上に建設された社務所では、旧正月の年篭りの時に千人ほどの参詣人が火を待ちながらたむろしたり、また、江戸時代には巡見使が400人以上の家来を率いて参拝した折りの記録も残っているが、現在は客殿(きゃくでん)という場所にその名残をとどめている。
山頂付近は焼火山神域植物群として保存され平成5年には神社から頂上まで遊歩道も整備された。10年以上かけて開通した焼火林道は市部(いちぶ)から始まって大山(おおやま)へ至り、平成5年には波止(はし)から焼火参道までは舗装整備されるまでになり波止からは車で5分、そこから徒歩で15分で神社まで到着可能となった。』

 かつて「燒火山雲上寺」と称された焼火神社は、瓦葺と云った神仏習合の名残と共に修験の寺院らしく岩山に縋り付く様なボク好みの姿を曝していた。それはまさに、タイニー榛名神社と云っても過言では無いほどの風格を保っていた。
 人気のない社務所へと向かう。掃出しに手を掛けるとなんの抵抗もなく開く。縁側には硯箱が置かれ、中には朱印や筆に硯が並んでいた。
 「すみません」返事など期待せずに気配のない部屋の奥へと声を掛けた。
 「はい、なんでしょう?」と、思いがけず声が返ってきた。後ろを振り向くと、先程参道を上る途中ですれ違い言葉を交わした方がこちらへと向かってきていたのだった。
 ここへは週の半分ほど午後から上がるのだと云う。つくづく運の悪いボクが珍しくタイミングの良かったそんな日。

焼火神社(たくひじんじゃ)(隠岐の権現さん)
鎮座地:島根県隠岐郡西ノ島町焼火山
祭神:大日霊貴尊
神紋:火三つ
旧社格:県社
札所:西ノ島町15番
ご利益:海上安全

【国重文】
本殿,通殿,拝殿
(H4.08.10指定)江戸中期 本殿(享保17)通殿(明治35)拝殿(寛文13)
本殿:一間社流造、正面軒唐破風付、正面通殿間庇、片流れ、東側面唐破風造、銅板葺
通殿:桁行二間、梁間一間、一重、唐破風造、銅板葺
拝殿:桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、軒唐破風付、銅板葺、西面神饌所附属

 焼火神社は、隠岐島前西ノ島の南西に位置し、航海安全の守護神として信仰をあつめている。
 本殿・通殿・拝殿は、山腹の岩盤を利用して建つ構成に特徴がある。本殿は、享保十七年(一七三二)の建築で、大坂の大工が大坂で木造りし、現地で米子の大工が組み立てるという珍しい方法がとられた建物としも注目に値する。
公式サイト 

2011年6月20日月曜日

もやしもん@モンク

予算¥1,600(純米生原酒 流霞¥600、特別純米酒 生原酒無濾過 大瀬戸¥600、チューハイ¥400)

 「流霞」
 「もやしもん」に出てきた酒らしい。残念ながら、ボクの好みは大瀬戸の方であったが。

純米生原酒 流霞
1,800ml¥2,625
原料米:日本晴
酵母:協会9号
精米歩合:70%
alc:17~18%
日本酒度:+2.0
酸度:1.7

スタンドバー モンク
住所:神戸市灘区篠原南町6-2-10  Barマップ
電話:078-882-2212
営業時間:18:00~last
定休日:水曜
スタンドバー モンク@東畑原市場
カオナシ@モンク
豊香@モンク
ぬる燗@モンク
スーパーハイボール@モンク
cp6 mf7 re6

2011年6月17日金曜日

由良比女神社

『 当社は、仁明天皇承和九年(八四二年)官社に頂き、延喜式神明帳には「明神大」として、神中抄には「わたす宮」、土佐日記には「ちぶりの神」として見えたり。
 海上守護の神として古来より上下の崇敬篤く、外国に使節を遣する際、或いは外患を防ぐ時等に鄭重なる祈祷ありと続日本後紀三代実録に記されたり。
安永二年(一七七三年)各村の庄屋集まりて大祭の儀を復興し、島前一統の祭りとしその制を今も尚伝えたり。
 隔年に行れる御旅の際には、遠く雲石(島根県)伯耆(鳥取県西部)但馬(兵庫県北部)より、新造の漁船を廻航し競って神船に列せんとしたり、近郷の漁船供奉して漕ぎ競えをなせり。
 社前の由良の浜には、毎年十月より翌年二月にかけて「いか」の群集するあり、その寄せ来るときは滝の如くなり。小屋掛けをして待ちこれを掬い取る。多きときは一夜数千連(一連=二十パイ)も押し寄せたり。
 十一月二十九日の神帰祭には少しと雖も寄らざることなし。これは遠き古より今に至るまで、変わることなき不思議の一なり。』


 手水鉢から蛇口が出ているのなんて初めて見た。

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『 御朱印等、御用の方は
宮司宅までご連絡下さい
神社より東へ徒歩十分(港方面)
山陰合同銀行
浦郷郵便局 右隣りです。
 由良比女神社
宮司 真野康生(東代宮屋)
住所 浦郷二四三番地
電話 08514-6-0950
不在連絡先 08514-7-8939』

 社務所に貼られた案内を頼りに、浦郷の港へと引き返す。宮司宅は一際大きくすぐに見付けることが出来るが、朱印は書置かれたものだった。

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『 隠岐島前の文化財 有形文化財(建造物)
  由良比女神社本殿
所有者 由良比女神社
特徴、由緒等
二間社春日造変態、向拝唐破風 明治二二年建造
大工棟梁 角谷六太郎
 建築様式については、かつて「大社造変態」と称していたが、「春日造」に近い処から現在では「春日造変態」ということになっている。
 しかし、このような様式のものを出雲では「明神造」と称している。県内の建築様式一覧(神国島根)にも「明神造」が数社あるが恐らくこれらは同系のものと思われる。いわゆる和様建築は「三斗組」の集合体であるが、「権現造」等の成立する江戸期には多くの彫刻を付した華麗なものとなった。
 この神社は延書式では「明神大社」に列せられた名社であるが、近世には一時衰徴し社殿も小規模なものであったが、明治に至り、氏子の総意が結集されてこのような立派な社殿が建造されたのである。
 建築年代は明治時代で新しいものであるが、島前地区には焼火神社を除き江戸期における神社建築は皆無であるので、代表的なもの三社を指定した。
(他に 美田・美田八幡宮本殿 海士町・宇受賀命神社本殿)』

 本殿は方二間ゆえ、かつては「大社造変態」と称していたらしいが、向拝の庇と本殿の大屋根が連続的に続く様より、むしろ「春日造」に近いということで「二間社春日造変態」となったようだ。しかし、流れ的にみてこれは「方二間社隠岐造変態」と云うべきではないだろうか?

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『由良の浜「いか」寄せのこと
●伝説
一、祭神当地にご渡海の際に海に手をひたしたところ美しき姿を見て「いか」が噛みついた。その非礼をわびて「いか」が寄るようになったと伝えられています。
二、神武天皇の御代に祭神が「いか」を手に持って現れたとも伝えられています。
三、当社はもと知夫里島の「いか浜」にあったが浦郷の由良の浜に神社が遷されてから「いか」・が「いか浜」には寄らなくなったとも伝えられています。
四、十一月二十九日の夜には祭神が出雲の国から帰ってこられるので、神帰祭が奉仕されます。
  この夜には多少にかかわらず「いか」が寄ると伝えられ戦後も随分このことがありました。
●実績
一、昭和三年二月当地の住民二名で数万匹の「いか」を拾い浜は足の踏み場もないほどで、一人は水田、一人は畑を各々一反歩買ったとのこと。
二、昭那二十年秋は、終戦直後で日本中食料難、、金より物の時代、当地の警察官が小舟いっぱいの「いか」を拾い売却し、これを事業資金にして転職したとのこと。
三、昭和四十三年十一日三十日夜、当地の浦郷警察署の署員が歳末警戒の帰途「いか」の寄るのを発見し、署長、非番職員に土地の者も加わって一万六千匹拾いました。
●昔は
「いか」拾い小屋が連立していました。当社は「するめ大明神」「いか神様」として崇敬を集めています。土地の人達は殆ど「いか」拾いの経験があります。
 数百匹、数千匹も珍しいことではなく、拾った人の個人所有で上納などのことはありません。
●なぜ最近「いか」が寄らないのか
「いが」が寄るのは十一月から二月まで。日本海中央、大和推の多数のいか釣り船、海況の変化、埋立による由良湾の狭少、養殖いけす、防波堤などの漁業施設、昼夜を分かたぬ漁船の航行などが考えられます。
 しかし、浦郷湾内にある二統の大敷網には十二~一月は「いか」が沢山とれています。
 近年、秋には紅イカ(土地ではドゥタレイカ体長一米)が沢山とれています。』

 隠岐では、イカは釣るものではなく、拾うもの

由良比女神社
鎮座地:島根県隠岐郡西ノ島町浦郷922
祭神:由良比女命
神紋:丸に並び矢
旧社格:村社
隠岐国一宮、式内社(名神大)
御利益:漁業、海上守護

【町指定有形文化財】
由良比女神社本殿:明治22年建立
二間社春日造変態、向拝唐破風、桧皮葺

2011年6月15日水曜日

6月オフ会な居酒や(中崎きりがね食堂)

予算¥3,000-¥100(飲み放題、サラダ、サーモンマリネ、テッチャン、ヤキトリ、ウズラベーコン、タコ焼き、シシトウ、串カツ、お好み焼、焼そば、アイスモナカ+ドテ焼、ズリ炒、軟骨からあげ、ジャコ天)

 大阪勤務となり、土日休みに加え2台とも車検切れ、とまったくツーリングには参加出来ない状況ですが、帰り道ゆえに呑み会だけは参加し易いのです。もともとツーリングよりも呑み会参加率の方が高いボクですから、その辺りはあまり問題ありません。

 今回もまた、19時半と早々に仕事を切り上げ、いそいそと中崎きりがね食堂に足を運びます。頭から参加の10人については飲み放題¥3,000のコース。途中参加の2人につきましては、飲み放題+単品注文でスタートとなりました。

 まずはサラダ。一人分ずつ取り分けられたものが運ばれてきます。微妙な空気が拡がります。続くのはサーモンマリネ。これも少量ずつ小皿が並べられ、全然宴会気分が盛り上がりません。大皿にごっそりと盛られた品を取り合ってこその呑み会ですよね。ちまちまと小皿を重ねるような上品な料理などこちらは求めていないのです。

 続いてのテッチャンも予め取り分けられたものが人数分並べられていきます。こちとら皆いい年したオッサンや淑女でありますから「自分、取りすぎやろ」みたいな諍いなど起ころうはずもないわけで、そんな手間を加えるくらいなら、もっとちゃっちゃと運んでこい、と云いたくなる流れの悪さです。

 串もんやタコ焼きなど数が確定するようなもの以外は、おこのみにやきそばまで一人一皿ずつ分けられており、同じメニューを頼んだ他人同士が並んで食事をしているような違和感が終始ついてまわりました。


 「なんでアタシが取り分けなあかんのよ!」と大皿を出したがゆえにクレームがあったのか、「肉ばかり取りやがって、もやししか残ってへんやないか!」と大乱闘があったのやもしれませんが、宴会向きの店ではありませんね。でも量は少なめでしたが、安いし味も普通なので雰囲気的に良ければ何も問題は無い感じで、なんか主催者のRさんに文句をたらたら垂れた感じになってしまいましたが、ボクはもっとざっくばらんな雰囲気の店が好きだなってだけで。

中崎きりがね食堂
住所:大阪府大阪市北区中崎西2-4-27 居酒屋マップ
電話:06-6485-3535
営業時間:11:00~24:30(月~木、日曜) 11:00~25:00(金土祝前日)
定休日:無休
cp5 mf4 re5

2011年6月10日金曜日

隠岐の魚屋がやる食堂(にしわき鮮魚店)

予算¥1,700(炊きこみ定食(ヒラマサ刺身、モズク、アワビの炊込ご飯、アラ汁、ブリのタイタン、漬物)¥1,100、アサヒスーパードライ中瓶¥600(イカのタイタン))

 まず目に付いたのは、軒先に下げられた巨大な鯣。それから、食事が出来るらしい事が書かれた貼紙に興味を惹かれ、扉を潜った。
 耳元で閑古鳥が囁きかけるような静けさを保った薄暗い店内。魚介の干物や冷蔵庫に並ぶ塩辛に一通り目を通した後、片隅に座るおばあさんに何が食べられるのかを尋ねると、刺身定食と炊きこみ定食があり、おかずはどちらも一緒で、後者はご飯がアワビの炊きこみご飯になると云う。他はテーブルに置いてあるメニューを見て欲しいと、店外の飲食スペースへと案内された。

 メニューには時価だというアワビに、いか(¥600)さざえ(¥250)岩ガキ(¥400)ヒオーギ貝(¥250)の刺身や、それらの焼きもんや酒蒸しに干物などが並んでいた。摩天崖上りでひとしきり水分を絞り出したボクは、すぐさまビールを頼み、それと炊きこみご飯、定食を、と続けた。炊きこみご飯、で一度言い淀んでしまったのは、炊きこみご飯定食ではなくて、炊きこみ定食だったな、なんて事に気付いたからだった。

 冷え冷えのビールと共に、「良かったら摘んでください」と運ばれてきたイカのタイタンを摘みながらグラスを傾ける。これは炊きこみ定食に付く小鉢が先に出てきたわけではないよな、サービスだよな、なんて勘ぐりながら、メニューの裏に書かれた

 「私共は 隠岐近海で捕れた魚介類の加工の仕事がしたくて始めた魚屋です。34年程になります。食堂は今年で12年目になり大変好評いただいております。
 その中でお話したり、食事をして頂いたりして ウン これは美味しかったから『お土産に』と言って頂くお客様も沢山居られまして、手土産やら地方発送も致しております。
 もし、その様なお考え・お気持ちが御座いましたら、住所等を書いて残して頂ければ、後日発送なり・お歳暮等のご案内もさせて頂きますので、よろしくお願いいたします。詳細についてはご相談ください。
                                          にしかわ鮮魚店 店主敬白」

なんて紹介文を読み、これは善意だな、と恥じ入ってみたり、この刺身はなんですか?と尋ねてみたり、隠岐のヒラマサです、と答えられたり、この近海は氷見に負けない良い漁場なんですよ、なんて教えて貰ったり、そういえばおでんやのオネーさんも、本土から夜来て朝帰るなんて慌ただしく釣りをするだけのヒトも多く、しかも島後よりも島前の方が圧倒的に良く釣れ質も良い、なんて聞いて、次来るときは絶対に釣竿を持ってこようと思ったことを思い出したりしている内に、いつしか満席となっていた。そして皆「炊きこみ定食」ではなく「炊きこみご飯定食」と頼んでいくのを聞くに及び、ボクが間違ったのではなく名付けが間違っていただけなのだと納得していた。

 晩酌のアテに、120円と書かれた鯣の下足を買い求める。「100円になります」の支払いに「120円違うん?」とつっこまずに100円玉一枚だけ渡したのは決して20円が惜しかったからではなく、「120円て書いてまっせ」と言ったところで、「それでは120円頂きます」なんて言い直されるはずもなく、それを「サービスです」などと言わせるほど、ボクは無粋な人間ではないと勝手に思っているからだ。

にしわき鮮魚店
住所:島根県隠岐郡西ノ島町浦郷677 海鮮マップ
電話:08514-6-0518
営業時間:11:30~15:00
定休日:3月下旬~10月、営業期間中は無休
cp5 mf6 re6

2011年6月8日水曜日

セグウェイ

 そぼ降るなか、駅の駐輪所に佇む一台のセグウェイ。
 なんと見事にシュールな光景。

2011年6月6日月曜日

バングラデシュカリー@新家

予算¥1,370(生大¥777、冷酒¥600、チキンカリー、レバーカリー)

 バングラデシュ人のマルフルがUSAに帰るというので、バングラデシュカリーナイトが行われた。
 基本、東南アジア系よりもインドカリーに似た味わい。ホンマはもっとスパイシーな感じらしいのだが、日本人向けに控え目にされた辛さが丁度いい。まぁ、カレーでもカリーでも咖喱でも滅多に不味いもんにお目にかからないこのカリーと云う調理法は素晴らしいとしか云いようがない。

2011年6月3日金曜日

私は貝になりたい

 「私は貝になりたい」って映画、観ました?そんな質問に頭を振った。
 実はワタシも観たことないんですけど、その監督が日本中の海岸を見て回って、やっぱりここが良いって選んだんですよ。なんて、是非とも行ってみてください、と強く勧められた国賀海岸。

 カンカン照りの日差しを遮る木陰もなく、つづら折りの斜面を吹き下ろす向かい風に曝されながら、二度と上るもんか、なんてぼやきながら上っていった国賀海岸は摩天崖。確かにオネーさんが取り敢えずココ、と強く推すのも頷ける絶景が拡がっていた。

 それでも、こんなシンドイ思いをするのは一度で十分やろ、なんて思いながらの下りだったのだが、また隠岐を訪れた折には、なんでまたシンドイ思いをして上っているんやろ?と後悔しながらも上るアホの姿が容易に想像できるのが悔しい。