2011年6月17日金曜日

由良比女神社

『 当社は、仁明天皇承和九年(八四二年)官社に頂き、延喜式神明帳には「明神大」として、神中抄には「わたす宮」、土佐日記には「ちぶりの神」として見えたり。
 海上守護の神として古来より上下の崇敬篤く、外国に使節を遣する際、或いは外患を防ぐ時等に鄭重なる祈祷ありと続日本後紀三代実録に記されたり。
安永二年(一七七三年)各村の庄屋集まりて大祭の儀を復興し、島前一統の祭りとしその制を今も尚伝えたり。
 隔年に行れる御旅の際には、遠く雲石(島根県)伯耆(鳥取県西部)但馬(兵庫県北部)より、新造の漁船を廻航し競って神船に列せんとしたり、近郷の漁船供奉して漕ぎ競えをなせり。
 社前の由良の浜には、毎年十月より翌年二月にかけて「いか」の群集するあり、その寄せ来るときは滝の如くなり。小屋掛けをして待ちこれを掬い取る。多きときは一夜数千連(一連=二十パイ)も押し寄せたり。
 十一月二十九日の神帰祭には少しと雖も寄らざることなし。これは遠き古より今に至るまで、変わることなき不思議の一なり。』


 手水鉢から蛇口が出ているのなんて初めて見た。

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『 御朱印等、御用の方は
宮司宅までご連絡下さい
神社より東へ徒歩十分(港方面)
山陰合同銀行
浦郷郵便局 右隣りです。
 由良比女神社
宮司 真野康生(東代宮屋)
住所 浦郷二四三番地
電話 08514-6-0950
不在連絡先 08514-7-8939』

 社務所に貼られた案内を頼りに、浦郷の港へと引き返す。宮司宅は一際大きくすぐに見付けることが出来るが、朱印は書置かれたものだった。

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『 隠岐島前の文化財 有形文化財(建造物)
  由良比女神社本殿
所有者 由良比女神社
特徴、由緒等
二間社春日造変態、向拝唐破風 明治二二年建造
大工棟梁 角谷六太郎
 建築様式については、かつて「大社造変態」と称していたが、「春日造」に近い処から現在では「春日造変態」ということになっている。
 しかし、このような様式のものを出雲では「明神造」と称している。県内の建築様式一覧(神国島根)にも「明神造」が数社あるが恐らくこれらは同系のものと思われる。いわゆる和様建築は「三斗組」の集合体であるが、「権現造」等の成立する江戸期には多くの彫刻を付した華麗なものとなった。
 この神社は延書式では「明神大社」に列せられた名社であるが、近世には一時衰徴し社殿も小規模なものであったが、明治に至り、氏子の総意が結集されてこのような立派な社殿が建造されたのである。
 建築年代は明治時代で新しいものであるが、島前地区には焼火神社を除き江戸期における神社建築は皆無であるので、代表的なもの三社を指定した。
(他に 美田・美田八幡宮本殿 海士町・宇受賀命神社本殿)』

 本殿は方二間ゆえ、かつては「大社造変態」と称していたらしいが、向拝の庇と本殿の大屋根が連続的に続く様より、むしろ「春日造」に近いということで「二間社春日造変態」となったようだ。しかし、流れ的にみてこれは「方二間社隠岐造変態」と云うべきではないだろうか?

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『由良の浜「いか」寄せのこと
●伝説
一、祭神当地にご渡海の際に海に手をひたしたところ美しき姿を見て「いか」が噛みついた。その非礼をわびて「いか」が寄るようになったと伝えられています。
二、神武天皇の御代に祭神が「いか」を手に持って現れたとも伝えられています。
三、当社はもと知夫里島の「いか浜」にあったが浦郷の由良の浜に神社が遷されてから「いか」・が「いか浜」には寄らなくなったとも伝えられています。
四、十一月二十九日の夜には祭神が出雲の国から帰ってこられるので、神帰祭が奉仕されます。
  この夜には多少にかかわらず「いか」が寄ると伝えられ戦後も随分このことがありました。
●実績
一、昭和三年二月当地の住民二名で数万匹の「いか」を拾い浜は足の踏み場もないほどで、一人は水田、一人は畑を各々一反歩買ったとのこと。
二、昭那二十年秋は、終戦直後で日本中食料難、、金より物の時代、当地の警察官が小舟いっぱいの「いか」を拾い売却し、これを事業資金にして転職したとのこと。
三、昭和四十三年十一日三十日夜、当地の浦郷警察署の署員が歳末警戒の帰途「いか」の寄るのを発見し、署長、非番職員に土地の者も加わって一万六千匹拾いました。
●昔は
「いか」拾い小屋が連立していました。当社は「するめ大明神」「いか神様」として崇敬を集めています。土地の人達は殆ど「いか」拾いの経験があります。
 数百匹、数千匹も珍しいことではなく、拾った人の個人所有で上納などのことはありません。
●なぜ最近「いか」が寄らないのか
「いが」が寄るのは十一月から二月まで。日本海中央、大和推の多数のいか釣り船、海況の変化、埋立による由良湾の狭少、養殖いけす、防波堤などの漁業施設、昼夜を分かたぬ漁船の航行などが考えられます。
 しかし、浦郷湾内にある二統の大敷網には十二~一月は「いか」が沢山とれています。
 近年、秋には紅イカ(土地ではドゥタレイカ体長一米)が沢山とれています。』

 隠岐では、イカは釣るものではなく、拾うもの

由良比女神社
鎮座地:島根県隠岐郡西ノ島町浦郷922
祭神:由良比女命
神紋:丸に並び矢
旧社格:村社
隠岐国一宮、式内社(名神大)
御利益:漁業、海上守護

【町指定有形文化財】
由良比女神社本殿:明治22年建立
二間社春日造変態、向拝唐破風、桧皮葺

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