2011年5月30日月曜日

ライブの聴ける立呑や(難波屋)

予算¥2,800(男2人)(アサヒスーパードライ大瓶×2、難波屋チューハイ¥300×2、いいちこロック¥250×2、キズシ¥200、豚汁¥100、目玉焼¥100、肉豆腐¥200、ホルモン¥200、海老天ぷら(4尾)¥150、焼きうどん¥200)

 言わずと知れた西成の有名立呑屋。そのアテとサケの安さもさることながら、週末にライブが行われることでもその名を馳せている。
 その日も17時よりライブが行われるとのことで、店の奥から音合わせの合間に何処かで聞いたようなナンバーが流れてきたりしていた。今日の客層は、音目当ての人三割、いつも通りに呑み目的の人五割、音楽をアテにサケを楽しみたい人二割といった感じ。そしてボクの楽しみは、オト二割サケ三割ネコ五割といった感じであった。
 足元を彷徨くネコは、ここの飼い猫などではなく近所に住まうノラだというのにあまりに人慣れしすぎており、その客の顔を伺いながらうろつく様から、日頃から媚びを売りながら店に出入りしていることが窺い知れた。それでも場所柄ゆえか、愛想だけでご馳走にありつけるほど甘くもなく、皆、そのコのことを口の端に乗せはしても、自分のアテを減らしてまで分け与えようなどと云う人は一人としていなかった。もちろん、そんなことは解っております、とでも言いたげな顔を向けながら、少しでも可能性のありそうなボクへと甘えた声を向ける。〆鯖の切れ端を鼻先へと落とすが少しばかり鼻を寄せるだけで口をつけようとなどする素振りすら見せやしなかった。店員のおんなのこが、あら炊きを分けてあげると、美味しそうに貪っていく。
 「あまりあげるとクセになるから、もうおしまい」なんて言葉は気にも掛けずにカウンターへとよじ上り、大皿に盛られた魚の焚いたんを匂い始め、追い払われる。

 アテ良し、酒良し、音良し、猫良しな絶品立呑屋。そしてもちろん、今日もまた、呑みすぎ。


難波屋
住所:大阪府大阪市西成区萩之茶屋2-5-2 立呑マップ
営業時間:8:00~22:00
定休日:木曜
cp8 mf8 re6

2011年5月29日日曜日

隠岐温泉 GOKA

「初めてのご利用ですか?それでは説明させていただきます」
と入浴方法の説明から始まった。

 裸で入れるのは、五六人も入ればいっぱいの浴室だけで、奥は水着着用の混浴アミューズメントスペースとなっているらしい。100円でレンタル水着もあると云うが、汗を流し疲れを癒したいだけなので、奥へは入らないことにした。

 そんな話をおでん屋ですると、島前にある「海士温泉」もそのシステムだと云うことだった。
 温泉よりもプールが主というのが隠岐スタイルらしい。

隠岐温泉 GOKA
住所:隠岐郡隠岐の島町南方296-1
電話:08512-5-3200
入湯時間:14:00~20:00
定休日:月曜(祝祭日にあたる週は無休営業)
入浴料金:大人500円・小人250円・町内の70歳以上の方 身障者300円
泉質:ナトリウム-炭酸水素塩泉
効能:神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動マヒ、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、きりきず、やけど、慢性皮膚病
泉温:27.6度

2011年5月27日金曜日

おきづくり

 「おきづくり」なんて聞くと酒呑みとしてはついつい他に意味するもんを思い浮かべてしまいますが、ここで云う「おきづくり」とは、隠岐特有の神社建築様式の事です。切妻妻入茅葺と云った姿は、流石に出雲の影響を受けているな、と思わせますが、傍に近付いて見ますと、意外とそうでもありません。遠くからは気付きませんでしたが、妻壁より延びる取って付けたような片流れの向拝をも視野に入れると、その姿はむしろ、春日造に近しい感じがします。それでも、拝殿の前に掲げられた注連縄からは、出雲からの影響を感じさせられます。


 方二間の大社造は、3x3の計9本の柱が立ち並び、都合上、左か右に寄った形に扉が付いております。それに比べ春日造は、方一間や方三間ゆえに、シンメトリーなファサードとなっており、前面三間奥行二間のセンター扉の隠岐造との類似性がより一層際だつのかもしれません。そう云えば、大社造は身舎の中央に柱が在るために、神座に至るまで柱を回り込むような動線を取ります。それは、男性、女性の神を祀っているかで異なっていたと記憶しています。そのソースを明らかにしようと思い本棚を漁りましたが見付かりませんでしたので、ボクの思い込みに過ぎないのかもしれません。
 しかし、天御柱を女神男神が反対に廻って、なんてのは、「吾が身は、成り成りて成り合はざる処一処在り」に「我が身は、成り成りて成り余れる処一処在り、故、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて、国土を生み成さむと以為ふ、生むこと奈何」の伊弉諾命と伊弉冊命の挿話を連想せずには居られません。片や天津神であるイザナギにイザナミ。此方は大国主と国津神。侵略する側とされた側。歴史的にはそんな側面があるのかもしれませんが、伊弉諾命が死んだ妻の伊弉冊命を求め根の堅州国へと辿った「黄泉比良坂」が出雲と伯耆の境の比婆山と比定されていることを思えば、民族の制圧や文化の融合は、それほど激しいものではなかったのかも知れません。「実家に帰らせていただきます」と書置きを残し、家を飛び出した出雲民族のイザナミを追いかける日向民族のイザナギ。しかし連れ帰れずに追い返される、なんて妄想すると楽しくなってきます。
 随分と話が逸れてしまいましたが、今回もいつも通りに逸れっぱなしでおしまいです。


玉若酢神社
鎮座地:島根県隠岐郡隠岐の島町下西701 神社マップ
祭神:玉若酢命
神紋:五七の桐
旧社格:県社
神階:正一位
式内社、隠岐国総社

【国重文】
・本殿(H4.01.21指定)江戸後期(寛政5)
桁行二間 梁間三間 一重 切妻造 妻入 茅葺 向拝一間 片流れ 檜皮葺
・随神門(H4.01.21指定)江戸末期(嘉永5)
桁行三間 梁間一間 一重 入母屋造 茅葺

2011年5月26日木曜日

水若酢神社


 御祭神水若酢命は海中より伊後の磯島に上られ、山を越えてこの里に入られ、国土開発、北方防備の任に就かれた神と伝えられている。
 当社は昔、火災、水害の難にあい古文書社宝等ほとんど失われた為、由緒は明らかではないが延喜式神名帳に「隠岐国穏地郡水若酢命神社名神大」国内帳には、「正四位上、水若酢明神、隠岐一宮」と記されている古社である。
 鎮座年代は、僅かに残っている古文書には仁徳天皇又旧記には、崇神天皇の御代とあって、古来五穀豊穣、海島守護、航海安全の神として朝野の崇敬篤く明治四年国幣中社に列せられた神社である。

 水若酢神社本殿
 平成四年一月二十一日
 現在の本殿は寛政七年(一七九五)に建造されたもので平面の形は神明造りに、屋根は大社造りに、向拝は春日造りに似ている点もあるが「隠岐造り」と呼ばれる隠岐独特の造りで簡素で素朴な美しさを持ち、しかも威厳と風格を備えている。本殿は南向きで屋根は切妻造りの茅葺きで高さ十六メートルあり鬼板についている菊の御神紋は直径三十三センチある。平面形は前面三間、奥行二間、正面は引違木連格子戸で両脇は蔀戸で他は横羽目板張りになっている。
 内部は外陣と内陣に分けられている。
 屋根は九寸勾配で厚い所で六尺、薄い所で三尺である。
 向拝は片流れの栃葺で面取りの角材を用いている。
 屋根の葺替えは通常二十年毎に行われ、五尺縄で縛った茅約三千束を必要とする。

 この神社本殿は隠岐地方の特色である「隠岐造り」の代表的建築である。隠岐造りは、本殿が横に長い平面形をもつが、切妻屋根で妻入り、正面に向拝と呼ばれる庇をつける。また、この隠岐造りはひじょうに装飾性が高く、この本殿もその特徴が良く現れている。島後では玉若酢命神社本殿(西郷町)とならび、大規模かつ優れた建築を今に伝えている。現在の本殿は1795年(寛政7年)の再興で、五箇村北方の大工棟梁森寄与八が造営工事を担当した。
 本殿は正面3間、側面2間の身舎(本体部分)の前に正面3間の向拝をつけ、背面を除く三方に刎高欄付きの縁をめぐらし、正面中央に階段をつける。身舎の円柱は、床下部分のみ八角形につくり、礎石の上に立つ。柱上には井桁に組んだ敷桁・梁をまわし、さらにその上に桁行・妻梁を外側に持ち出して井桁に組む手の込んだものである。軒は一段(一軒)で、垂木の間隔が狭い繁垂木である。妻飾は、身舎正面は二重虹梁大瓶束、背面は四重虹梁大瓶束で、虹梁の間に平三斗(最下段は五つ斗)をすえ、装飾性がゆたかである。また、屋根は茅葺きである点も特徴のひとつである。
 向拝は、両端角柱の上には出三斗を、中央柱の上には平三斗をおき、身舎柱と海老虹梁でつなぐ。軒は二段となった二軒、屋根は栃葺の片流れ形式である。
 なお、隔年の5月3日に行われる神事「山曳き」は、2メートル四方のやぐらを太い縄で引いて歩くめずらしい祭礼で、県指定無形民俗文化財(水若酢神社祭礼風流)となっている。

水若酢神社
鎮座地:島根県隠岐郡隠岐の島町郡723 神社マップ
祭神:水若酢命
神紋:十六八重菊
旧社格:国幣中社
神階:正三位
式内社(名神大)、隠岐国一宮、別表神社

【国重文】
・本殿(H4.01.21指定)江戸後期(寛政7)
桁行二間 梁間三間 一重 切妻造 妻入 茅葺 向拝三間 片流れ 檜皮葺

2011年5月23日月曜日

神出山田自転車道~姫路明石自転車道@摩耶山ヒルクライムクラブ

ルート:北神急行谷上駅 - 有馬街道 - R428 - r85 - 神出山田自転車道 - r85 - r38 - r20 - 農道 - 加古川右岸自転車道 - 姫路明石自転車道 - r718 - JR明石駅

距離:65.7km
最大標高差:245m
獲得標高:182m



いきなりの土砂降りに遭ってみたり

河原のマウンテン遊びでサングラスを無くしてみたり
 

輪になってみたり

カッコつけてみたり

サイコンをいじっていて膝を割ってみたり

色々とハプニングも有りましたが、無事打ち上げ三連発を迎えることが出来ました。





2011年5月20日金曜日

地元ではラーメンが美味いと評判らしいと後で聞いたレストラン(レストハウス ポーレスト)

予算¥840(チャンポン¥840)

 なにより、ここで食べていかなければこの先、パンのひとかけらすら口に出来ないかもしれないという思いが、一度は通り過ぎたボクの胃袋をガッツリと掴み、離さなかった。

 思い返せば西郷の港に降り立ち、つい先程まで同舟していた旅行客や地元民で溢れるフェリー乗場前の食堂に坐すなんてのが何となくイヤで、先に玉若酢命神社と国分寺を廻ってから飯を喰おう等と後に後にと引き延ばしてきたのは、境港で食べた海鮮丼や航海中に啜った麦酒が吸収しきれていなかった所為であったのだろう。そして、無理に西郷で食べていかなくても、途中で見付けた魚屋で買うたモンを捌いたり焼いたりして食べてもええわな、なんて思いがあったのも確かだった。しかし、さっきの魚屋に寄っておけば良かったな、なんて思い始めていた頃には、家一軒ない山の中へと差し掛かっていた。
 幾つかの山を越え、幾つかの漁村を迎えて、ようやく食事が出来そうな店を見付けたというのに通り過ぎてしまったのは、ボクが思い抱いていた隠岐に在るべき食堂的な思いとその佇まいのギャップが有りすぎたからに他ならなかった。

 そんなこんなで、いろいろあるなか、いろいろあるメニューから高カロリー高塩分といった観点からチャンポンを選び、茹で置かれたであろう具材こそ食感や味わいに乏しい物でありながらも、キャベツ、人参、玉葱、モヤシ、キクラゲに豚、エビ、イカ、チクワ、ナルトに豚骨鶏ガラ系白濁スープと正統な長崎チャンポン風で、これにたっぷりと胡椒を振りかけるとピリッと味が引き締まり、思ったよりも美味しく、食後にインスタントとはいえ、コーヒーのサービスも付いて満足させられるものであった。

レストハウス ポーレスト
住所:島根県隠岐郡隠岐の島町布施1111-9 ラーメンマップ
電話番号:08512-7-4222
営業時間:11:00~14:00 17:00~21:00
定休日:水曜
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2011年5月19日木曜日

隠岐国分寺

 国分寺の建立
 人皇四十五代聖武天皇の御代(奈良時代天平十三年=西暦七四一)今から凡そ千二百年余の昔、奈良東大寺をはじめ全国六十八ヶ寺の国分寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)の建立を命せられ、これにより、律令国家体制が整備されるに従って、仏教が国家統治上極めて重要な役割を果たしてきたのであります。
 隠岐国分寺も、出雲、石見、両国分寺と並び聖武天皇勅願所として建立された島内第一の伽藍で、金堂、三重塔、四天王寺、大門、中門、山王二十一社の鎮守、大乗坊、大楽坊、大蔵坊、岸本坊などが、山麓一帯に、世にいう七堂伽藍が建てめぐらされ、まことに荘厳をきわめたものであります。

 隠岐行在所
 後醍醐天皇行在所跡は、島後の隠岐国分寺と島前の黒木御所の二説があるが、文部省は昭和九年三月十三日(後醍醐帝建武中興六百年)に隠岐国分寺を国の史跡に指定した。行在所として指定の決め手となったものは『増鏡』の記事と「頼源文書」である『増鏡』第十六。久米のさら山の条に
(前略)海づらよりはすこし入たる国分寺といふ寺をよろしきさまにとり払ひておはしまし所に定む(下略)また「頼源文書」とは、元弘二年八月十九日国分寺御所において、従者千種忠顕を上卿として綸旨を賜っている。頼源とは、平田市鰐淵寺の長史で勤王僧として活躍し、後醍醐天皇隠岐御遷幸以来、島に渡って親しく天皇に謁し、隠岐脱出を成功せしめた代表的人物である。また、頼源が浄達上人に宛てた十九通の文書の譲状「頼源僧都送進目録」には「隠岐国国分寺御所においてこれを下さる」と明記してあり、隠岐国分寺が後醍醐天皇の行在所であることを証明する一級資料によるものである。さればとて、黒木御所に関わる伝説もあるため、否定すべき根拠もないとして、昭和三十三年八月一日に島根県の史跡として指定されている。

 隠岐の廃仏毀釈
 明治二年春から夏にかけて全国的に廃仏毀釈がなされたが、その起因は、慶應四年(西暦=一八六八)三月、祭政一致の方針に基いて政府は「神祇官」を再興し、全国の神社及び神官をそれに附属し、神社所属の社僧の復飾を命じ三月二十七日の太政官布告をもって神仏判然令を出し仏像を神体とすることを改め社前の仏像仏具の取り除きを命じた。これが神仏分離のおこりである廃仏毀釈の運動はこれらの新政府の方針に沿って特定の地域の特殊な社会的条件によって発生した。隠岐の廃仏は隠岐騒動に引き続いてこれを渾然一体の社会運動として民衆の運動として極めて極端な形で行われたところに特色がある。
 明治二年四月、王政一新県知事として九州久留米から真木直人が赴任以来万事改華の世となり、徹底的に行われ、隠岐全島凡そ一〇〇余の寺院迫害は、目にあまるものがあり、伽藍、仏像、仏具、寺宝などの棄毀焼失はもとより寺院財産没収などに及んだ。そのため僧侶の生活と困窮は言語に絶し帰俗逃亡の事もあり多くは跡形もなく廃滅するに至った。
 斯くして僧侶は皆還俗するか又は追放にせられ、明治七年頃には隠岐島断然無寺院の訓示があるに及んで法灯永えに再耀の道は絶たれることとなった。

 本堂全焼
 去る二月二十五日午後三時三十分、本堂が突然出火炎上し、貴重な建物・諸仏像・収蔵物・国指定重要無形民俗文化財「蓮華会舞」に供する拝観展示品等の総てを焼失し、一瞬にしてその威容失いました。
 本堂は、明治の廃仏毀釈の難に遭遇し幾多の難関を経て漸く昭和二十五年に、数多の島内外のご篤信者のご懇意によって落慶をみるに至りました。
 以来、宗派を超えた信仰の道場として、また貴重な国指定史跡や文化財を保持し、隠岐島の観光資源としても大きな役割を担って参りました。平成五年には、本堂屋根総葺替「平成大修理」を、これまた数多の島内外のご篤信者のご浄財を得て成満し、益々重厚な伽藍荘厳の威容を誇って参りました。この様に歴史ある本堂を焼失に至らしめました事は、真に断腸の極みであり慙愧に堪えませず、この不祥事を幾重にもお詫び申し上げます。

禅尾山隠岐国分寺
所在地:島根県隠岐郡隠岐の島町池田風呂前5 仏閣マップ
宗派:東寺真言宗
本尊:釈迦如来
開基:聖武天皇
創建:天平年間(伝)
電話:08512-2-2934
入山料:400円

2011年5月17日火曜日

境港にて唯一朝食を供すると言っても過言ではない海鮮や(お食事処 かいがん)

予算¥1,100(特上さかな丼(ブリ、鯛、甘エビ、イクラ、海苔佃煮)¥1,100)

 ハンガーノックが恐いのでしっかりと朝食を摂らねばならないのだが、ここ境港では手頃な店が無いに等しかった。
 3kmほど南下すればマクドはあったがそこまでして朝マクドを食したいワケでもないし、橋を越えれば海鮮を喰わせる民宿があるが基本民宿なので泊まり客以外には出さない日も多いと言う(地元民談)ゆえに、ここ「かいがん」が唯一の朝からカロリーを摂取出来る店と云うわけだ。
 少し前まではガラガラやってんけど(地元民談)というこの店も、水木しげるロード効果で長蛇の列。いつもなら並ぶのがイヤなボクも、どうせフェリーまで数時間潰さなければならないのだし、と開店前の行列に加わる。

 まあ、味はそれなりなのだが、酢飯とご飯のスキな方を選べるってのはちょっと嬉しい。もちろんボクは酢飯を選択した。

お食事処 かいがん
住所:鳥取県境港市昭和町9-20 海鮮マップ
電話:0859-42-4414
営業時間:7:00~15:00 7:00~17:00(土日祝) 17:00以降要予約
定休日:火曜(祝日は営業)
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2011年5月16日月曜日

水木しげるロード


 フェリーを待つ間の暇つぶしと立寄ったのだが、早朝にも関わらず大賑わい。

 ボクはバックベアードの写真が撮りたくてその道を3往復ほどしたのだが、何処にも見付けることが出来なかった、というかそもそも居なかった、残念。

水木しげるロード