2007年5月10日木曜日

栂尾神社

明日は長崎の崇福寺大雄宝殿、崇福寺第一峰門、大浦天主堂を見に行く。これで九州の国宝建築物は全て制覇したこととなる。そのためにも天草辺りのキャンプ場に滑り込みたい、そう考えていた。
ここからの距離は200km程、そう辛い距離ではない。とりあえずR388を西へと急ぐ。小さな路地をいくつか右に見て進む。これらの事ではないだろう。"二つ目"の道路というのは。
やがて、工事看板が掲げられた交差点に出た。"一つ目"心の中で数えあげる。10km程進む度に数軒の家々が山の斜面に貼り付くように建つ、そんな部落があるだけの山深い道が続く。暫く進むが左折の道か、明らかに林道の入り口といった風情の交差点しかない。
道は以前の台風で酷く荒れていた。路肩は崩れ、アスファルト舗装はひび割れている。車一台が辛うじて通れるような道が続く。一時間ほど進んだであろうか、道端の真新しい看板が目に付いた。"国指定重要無形民俗文化財 栂尾神社夜神楽"とある。

"栂尾神社"
看板の見て左に折れるとかなり急な坂が待っていた。右手には結構大きな建物が見える。小学校であろうか、こんな山奥には似つかわしくない感じだ(調べてみると既に廃校であった)。
山の中腹ほどに平坦な場所があり、家数軒と拝殿、鳥居が現れた。広場では子供と母親が遊んでいる。深い谷間に突然現れた眺め、ここからは遠くに山々が見渡せる。なるほど、この地に神が祀られているのも納得がいく。先ずは拝殿を参拝する。拝殿と書いてはあるが、本殿との位置関係や造りを見るとここが舞台のようである。
鳥居を潜り、苔むした階段を上っていく。神域といった事が感じられる厳かな空間。間もなく本殿が姿を現す。増築が繰り返され原型をとどめていない拝殿とはうってかわってオーソドックスな姿である。この旅の安全を祈願し、朱印を戴きに宮司宅へと足を運ぶ。
玄関先ではあるが、お茶や茶菓子を頂きながら色々とお話を伺った。しかし、訛りがきつく話が半分も分からない。日本は広いなぁと感じる瞬間である。文脈から判断しながら話を続けたが、かなり妙な内容になっていたことであろう。確実に理解できたのは"氏子が少ないので畑仕事がメインである"、"夜神楽の時は人が集まり、賑わう"ということ位であろうか。
帰りにはおみやげにお餅まで頂いてしまった。夜神楽の時には一度訪れたいと思っているのであるが、叶うのは何時の事となるのであろうか。お礼も含めて、是非とも、もう一度訪れたい。
(大河内越に続く)

"栂尾(ツガオ)神社" 宮崎県東臼杵郡椎葉村栂尾
祭神:素盞鳴命(セミョウサマ)
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