2010年7月30日金曜日

大山祗神社

しまなみ海道ポタリング。
大三島から伯方の塩方面へと抜けていくには、島の西岸を伝うR317をただ真っ直ぐに擦ればよいのだが、今回のこのポタリングの主たる目的は大山大山祗神社参拝となってしまっているからには、ココを外すわけにはいかない。
多々羅大橋を渡りきり、次の大三島橋へと続く道を、逆に辿る。多々羅温泉の看板を越えて間もなく、r21へと入っていった。そこから緩やかな上りがダラダラと続いている。それは島中央に並ぶ二反山(395m)と鷲ヶ頭山(437m)の狭間、三村峠へと真っ直ぐに向かう道。その標高は78mほど。しまなみを渡る橋の高さは、およそ60mから100m。そこに至る自転車道の勾配は緩く、たかだか3~4%程度の坂である。ペースこそ落ちはするが、平坦な道を辿るのと何ら変わらず、乳酸さんお溜まり下さいませ、せずに上りあがれる道である。しかし、r21は一般道。無意味に勾配を緩くすることなく一直線に駆け上がる道。それは自転車道の倍と云ったところ。もちろんヒルクライムだと考えれば10%にも満たない道など大したことなど無いのだが、これが100~200kmほど走るポタリングとなると、地味に効いてくる。というか、背負う荷物の10kgあまりの重量がヤケに重く感じてくる。何となく投げ出したくなる気分になり始めた頃にようやく峠を越えた。そこから表参道まで一気に下りおりる。鳥居前の激安海鮮丼屋の大漁(海鮮丼¥380ウニ丼¥750)が気になるが、生憎の火水曜休み。国宝、重要文化財に指定された武具の約8割が納められている宝物館も閉館まで一時間を切っているので、併せて次回へのお楽しみにへと廻す。もちろん、その時は、鷲ヶ頭山へも登るつもりである。
これで四国の一宮は全て参拝したことになる。南海道で云えば、意外や意外、最も近い伊弉諾神宮唯一つ、未だ一度も参拝していない。

大山祗神社は本社・上津社・下津社の三社をあわせて汎く大山祗神社と崇めまつると云う。古く三島大明神又大三島さんとして親しまれ信仰されています。
古事記、日本書紀には、山神(農業神)として又伊予風土記には海神としての御神徳がとかれ、古来地神・海神兼備の神社とされてきまして。
又、瀬戸内海で活躍をした三島水軍の守護神として信仰をあつめ、奉納された甲冑・刀劔類は常設展示され日本一の武具館として喧伝されています。はかに昭和天皇の御採集船葉山丸を保存展示する大三島海事博物館があります。

御祭神大山積大神は天照大神の兄神で山の神々の親神に当り(古事記・日本書紀)天孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命の父神にあたる日本民族の祖神として、和多志大神(伊豫国風土記)と申し上げる、海上安全の守護神である。
地神・海神兼備の大霊神として日本の国土全体を守護し給う神であるところから古代より日本総鎮守と尊称され朝廷を初め国民の崇敬は各時代を通して篤く中世は四社詣、五社詣の中心となり、平安時代既に市が立ち現在に続いている。
御分社は、全国に10,000余社祀られ、延喜式名神大社に列せられ伊予国一の宮に定められた。
明治以降は国幣大社に列せられ四国で唯一の大社として尊崇されている。

大山祗神社
鎮座地:愛媛県今治市大三島町宮浦3327 神社マップ
電話:0897-82-0032
祭神:大山積神(オオヤマヅミノカミ)
神紋:折敷縮三文字
旧社格:國幣大社
伊豫國一宮、式内社(名神大)、山祇神社及び三島神社の総本社

【国重文】
大山祗神社本殿(宝殿)(M37.08.29指定)室町中期(応永34)三間社流造 檜皮葺
大山祗神社拝殿(S28.03.31指定)江戸前期(1615-1660)桁行七間 梁間四間 一重 切妻造 檜皮葺

【境内社】
上津社 下津社 姫子邑神社 院内荒神社 地神社 稲荷神社 石神社 酒殿 八重垣神社 御鉾神社
葛城神社 祓殿神社 伊予国総社 十七神社 宇迦神社 馬神社 祖霊社 八坂神社 五穀神社
阿奈波神社 御子宮神社 厳島神社 轟神社 天神社

愛媛県神社庁

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