千早城本丸跡に もと八幡大菩薩を祀って 千早城の鎮守として創建する。
後に楠木正成卿、正行朝臣、久子刀自を合祀して楠社と称する。
明治七年再建 同十二年には更に祠を建て 社名を千早神社とする。
昭和七年現在の社殿社務所を新築する。
建水分神社(たけみくまり)で満足すりゃいいものを、千早神社まで目指した。
だるいだるいゆるゆるの坂を10kmほど上り詰め、漸く千早城址への入り口に辿り着いた。そこから続く500段にも及ぶ石段の果てに四の丸、そこから更に150m?ほど登った二の丸蹟に千早神社が鎮座するという。手摺りに頼らなければ転げ落ちそうなほど急なその階段の有様にほとほと嫌気が差しもするが、ココまで来たからには上らずに帰るというわけにも行かない。
階段の踊り場に差し掛かる毎に振り返り、今来た路を見下ろす。勾配がキツイだけの事はあって、見返る度に景色が変わる。その気晴らしだけが支えとなって、何とか四の丸まで上り着いた。
招魂社に相応しき、靖國さんにも似た青銅の鳥居を潜り抜け四の丸蹟へと踏み居る。その船上神社にも似た寂れ具合は、さすがは後醍醐天皇つながりか?などと、来た甲斐が無かったかもと思いつつも先へと進んだ。
そんな期待らしからぬ思いを秘めながらも訪れた千早神社。
白石を敷き詰めた拝殿に、反りなく妻入の住吉造に似てはいるが、桁行3間、張間は2間であろう本殿。それは、昭和に入ってからの建築だというだけあって、厳かさだとか荘厳さだとか胸に染み入るほどの感動といった類のモノは無いのだが、確かに此の地にはざわめく大気の流れがある。楠公の御霊は刀折れ矢尽きた湊川にはなく、今尚、此の地に留まりて吉野を護り続けているのかも知れない。
全く期待などしていなかったのだが、心安らがせる何かがここには坐す。
千早神社
鎮座地:大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早城山1228 神社マップ
電話:0721-74-0234
祭神:楠木正成、楠木正行、久子刀自
末社:椋木神社(大物主命) 廣内神社(金山彦命) 平神社(應神天皇)
神紋:菊水
御朱印は麓にあるまつまさにて、自分でついてください(志納¥300)
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