「おきづくり」なんて聞くと酒呑みとしてはついつい他に意味するもんを思い浮かべてしまいますが、ここで云う「おきづくり」とは、隠岐特有の神社建築様式の事です。切妻妻入茅葺と云った姿は、流石に出雲の影響を受けているな、と思わせますが、傍に近付いて見ますと、意外とそうでもありません。遠くからは気付きませんでしたが、妻壁より延びる取って付けたような片流れの向拝をも視野に入れると、その姿はむしろ、春日造に近しい感じがします。それでも、拝殿の前に掲げられた注連縄からは、出雲からの影響を感じさせられます。
方二間の大社造は、3x3の計9本の柱が立ち並び、都合上、左か右に寄った形に扉が付いております。それに比べ春日造は、方一間や方三間ゆえに、シンメトリーなファサードとなっており、前面三間奥行二間のセンター扉の隠岐造との類似性がより一層際だつのかもしれません。そう云えば、大社造は身舎の中央に柱が在るために、神座に至るまで柱を回り込むような動線を取ります。それは、男性、女性の神を祀っているかで異なっていたと記憶しています。そのソースを明らかにしようと思い本棚を漁りましたが見付かりませんでしたので、ボクの思い込みに過ぎないのかもしれません。
しかし、天御柱を女神男神が反対に廻って、なんてのは、「吾が身は、成り成りて成り合はざる処一処在り」に「我が身は、成り成りて成り余れる処一処在り、故、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて、国土を生み成さむと以為ふ、生むこと奈何」の伊弉諾命と伊弉冊命の挿話を連想せずには居られません。片や天津神であるイザナギにイザナミ。此方は大国主と国津神。侵略する側とされた側。歴史的にはそんな側面があるのかもしれませんが、伊弉諾命が死んだ妻の伊弉冊命を求め根の堅州国へと辿った「黄泉比良坂」が出雲と伯耆の境の比婆山と比定されていることを思えば、民族の制圧や文化の融合は、それほど激しいものではなかったのかも知れません。「実家に帰らせていただきます」と書置きを残し、家を飛び出した出雲民族のイザナミを追いかける日向民族のイザナギ。しかし連れ帰れずに追い返される、なんて妄想すると楽しくなってきます。
随分と話が逸れてしまいましたが、今回もいつも通りに逸れっぱなしでおしまいです。
玉若酢神社
鎮座地:島根県隠岐郡隠岐の島町下西701 神社マップ
祭神:玉若酢命
神紋:五七の桐
旧社格:県社
神階:正一位
式内社、隠岐国総社
【国重文】
・本殿(H4.01.21指定)江戸後期(寛政5)
桁行二間 梁間三間 一重 切妻造 妻入 茅葺 向拝一間 片流れ 檜皮葺
・随神門(H4.01.21指定)江戸末期(嘉永5)
桁行三間 梁間一間 一重 入母屋造 茅葺
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