2011年5月11日水曜日

伯耆国一宮

 安産の神として崇敬されている当神社は、伯耆国の一ノ宮である。創立年代は不詳であるが、社伝によれば、大国主命の娘下照姫命が出雲から海路御着船従者と共に現社地に住居を定め、当地で死去される迄、安産の指導に努力され、農業開発、医薬の普及にも尽くされたという。
 創立当時当地方の主産業が倭文(しづおり)の織物であったので、倭文部の祖神建葉槌命に当地と関係の深い下照姫命を加えて祭神としたもので、他の五柱の神は大国主命のお子神か関係の深い神々である。
 当神社に対する安産信仰は古来からのもので、数々の霊験が伝えられているが、倭文の織物は姿を消したので、安産の信仰が残り、当神社は安産の神として、本県は勿論広く県外にも御神徳が及んでいて、安産祈願の参詣者で社頭は賑わっている。
 平安時代延喜式神名帳(西暦九二二)には、当神社の名が見え、神階は、度々昇進し、承和四年(西暦八三七)従五位下、斎衡三年(西暦八五六)従五位上、天慶三年(西暦九四〇)には、従三位から正三位に進んでいる。
 平安時代当神社にも多数の神宮寺が建立されたが、戦国時代武将に社領を没収され、神社のみを残して各寺院は四散した。
 当神社には勅額と称する古額が現存し、正一位伯州一ノ宮大明神と刻されている。
 往古の社殿広大で、千石の朱印地を有したと伝えられるが、戦国時代荒廃。天文二十三年(西暦一五五四)尼子春久社殿を造営神領七十石寄進。後神領中絶したが、元亀元年(西暦一五七〇)羽衣石城主南条宗勝がこれを復旧した。
 徳川時代は池田藩主祈願所となり祭日には藩老和田氏から境内警備のため、鉄砲六人を付されている。
 明治以降県社であったが、昭和十四年に国幣小社となった。


何故、そないに高く腰を掲げているのであろう?

倭文神社(しとりじんじゃ)
鎮座地:鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754 神社マップ
電話:0858-32-1985
祭神:建葉槌命(たけはづちのみこと)
神紋:二重亀甲に松皮菱
旧社格:國幣小社
御利益:安産
参拝時間:09:30~16:00

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