2011年5月26日木曜日

水若酢神社


 御祭神水若酢命は海中より伊後の磯島に上られ、山を越えてこの里に入られ、国土開発、北方防備の任に就かれた神と伝えられている。
 当社は昔、火災、水害の難にあい古文書社宝等ほとんど失われた為、由緒は明らかではないが延喜式神名帳に「隠岐国穏地郡水若酢命神社名神大」国内帳には、「正四位上、水若酢明神、隠岐一宮」と記されている古社である。
 鎮座年代は、僅かに残っている古文書には仁徳天皇又旧記には、崇神天皇の御代とあって、古来五穀豊穣、海島守護、航海安全の神として朝野の崇敬篤く明治四年国幣中社に列せられた神社である。

 水若酢神社本殿
 平成四年一月二十一日
 現在の本殿は寛政七年(一七九五)に建造されたもので平面の形は神明造りに、屋根は大社造りに、向拝は春日造りに似ている点もあるが「隠岐造り」と呼ばれる隠岐独特の造りで簡素で素朴な美しさを持ち、しかも威厳と風格を備えている。本殿は南向きで屋根は切妻造りの茅葺きで高さ十六メートルあり鬼板についている菊の御神紋は直径三十三センチある。平面形は前面三間、奥行二間、正面は引違木連格子戸で両脇は蔀戸で他は横羽目板張りになっている。
 内部は外陣と内陣に分けられている。
 屋根は九寸勾配で厚い所で六尺、薄い所で三尺である。
 向拝は片流れの栃葺で面取りの角材を用いている。
 屋根の葺替えは通常二十年毎に行われ、五尺縄で縛った茅約三千束を必要とする。

 この神社本殿は隠岐地方の特色である「隠岐造り」の代表的建築である。隠岐造りは、本殿が横に長い平面形をもつが、切妻屋根で妻入り、正面に向拝と呼ばれる庇をつける。また、この隠岐造りはひじょうに装飾性が高く、この本殿もその特徴が良く現れている。島後では玉若酢命神社本殿(西郷町)とならび、大規模かつ優れた建築を今に伝えている。現在の本殿は1795年(寛政7年)の再興で、五箇村北方の大工棟梁森寄与八が造営工事を担当した。
 本殿は正面3間、側面2間の身舎(本体部分)の前に正面3間の向拝をつけ、背面を除く三方に刎高欄付きの縁をめぐらし、正面中央に階段をつける。身舎の円柱は、床下部分のみ八角形につくり、礎石の上に立つ。柱上には井桁に組んだ敷桁・梁をまわし、さらにその上に桁行・妻梁を外側に持ち出して井桁に組む手の込んだものである。軒は一段(一軒)で、垂木の間隔が狭い繁垂木である。妻飾は、身舎正面は二重虹梁大瓶束、背面は四重虹梁大瓶束で、虹梁の間に平三斗(最下段は五つ斗)をすえ、装飾性がゆたかである。また、屋根は茅葺きである点も特徴のひとつである。
 向拝は、両端角柱の上には出三斗を、中央柱の上には平三斗をおき、身舎柱と海老虹梁でつなぐ。軒は二段となった二軒、屋根は栃葺の片流れ形式である。
 なお、隔年の5月3日に行われる神事「山曳き」は、2メートル四方のやぐらを太い縄で引いて歩くめずらしい祭礼で、県指定無形民俗文化財(水若酢神社祭礼風流)となっている。

水若酢神社
鎮座地:島根県隠岐郡隠岐の島町郡723 神社マップ
祭神:水若酢命
神紋:十六八重菊
旧社格:国幣中社
神階:正三位
式内社(名神大)、隠岐国一宮、別表神社

【国重文】
・本殿(H4.01.21指定)江戸後期(寛政7)
桁行二間 梁間三間 一重 切妻造 妻入 茅葺 向拝三間 片流れ 檜皮葺

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