2011年6月1日水曜日

ウミウシを食べられるおでんや(おでん こと)

予算¥3,800(付出(鯵南蛮漬、青葱のぬた)、おでん(子持ちイカ、牛スジ肉、厚揚げ、春菊)、海牛(べこ)¥600、アサヒスーパードライ中瓶、高正宗一合(熱燗)x2、高正宗一合(ひや)、ハイボール¥400)

 山越えに継ぐ山越えと散々汗をかきまくっての日没となり、そこはそれで冷え切った身体の欲望に忠実に従って於こうと、おでんやの暖簾を潜ったのだった。カウンターには常連らしき男性がふたり。いいですか?と断りを入れ、少し離れたところに腰を据える。おでん、おでん、おでん、と、手を擦り合わせながら選んだのは牛すじ肉と厚あげに熱燗。そこは「がんも」を頼んだのだが、切れてしまった、というので厚あげへの変更であった。そこに勧められるがままに子持ちイカを追加する。

 つきだしはアジの南蛮漬に青葱のぬた。地元では、わけぎ以外をぬたにするなんて有り得ないワケで、当然その仕上がりはトロッとした滑りなどなく、一口二口と食べる内は、そこに何が出されたのかも分からなかったのだが、決して不味いというほどのモノでもなかった。青葱をぬたにして供するのもこの地方独特のモノかな?なんて思いながら、ホワイトボードに書かれた「下足のしくしく」ってなんですか?と尋ねる。
 「しくしく」ってのは、柔らかいって意味で、ただ単に下足焼いただけですと云う。それならそれを、なんて頼むのもなんの面白味も無いので、続けざまに本命的な「隠岐の珍味 海牛(べこ)」ってのは何かと尋ねた。それは、あの紫色の粘膜を吐き散らかすアメフラシの事だと云い、この辺り一般的に食すモノだという。今ぐらいまでが旬で、後は味が落ちるので冷凍しておくのだとか。それを甘辛く炒りつけたものがいわゆる「べこ」なのだそうだ。独特の磯臭さがあり、地元の人は懐かしがって食べるが、余所の人には勧められるようなモノではないとも云う。それでもボクは、小学生の頃から蛙の天麩羅やエスカルゴ、イナゴの佃煮なんかを好んで食べるようなゲテモン好きなので、当然、それを頼んだ。

 これはゴムか、と思わせる前歯を押し返すような噛応えに、舌にざらつくスポンジのような食感。そして後から微かに漂う独特な香り。
 「また食べたいって思うもんじゃないでしょ」と聞かれ、曖昧な笑いを返した。
 
 GWの頃は港の辺りでテントを張り釣りをする人が多いよ、と聞くに及び、それなら夕焼けの美しかったあの公園まで戻らなくても良いな、と思って、じっくりと腰を据えて呑み耽る。
 途中で見掛けた書き割りのように見事な滝は昔はなかったので人工ではないかという話や、ここが通っていれば大分楽やのにというトンネル工事が長いことほったらかしであることや、そこら彼処で見掛ける土俵に舟屋の近くで練習する子供力士に地元出身の幕内の話であったり、何処の店でも隠岐誉の看板を掲げているが地元の人は好まないので何処の店でも高正宗を出しているとか、海藻焼酎「いそっ子」は磯臭過ぎてこれもまた地元の人は誰も呑まないので買うなら熟成させた「わだつみの精」がオススメだとか、安くて美味しい寿司屋に中華料理屋、後は釣りの話だとか、その他、かなりプライベートに関わる話なんかを語らったりしての2時間ほどの滞在であった。



 予め用意しておいた「隠岐誉」を加えてほと良く酔いしめて漁協の隅で寝ていたのだが、未だ日も昇らぬ午前四時にイカ釣り漁船の爆音に起こされ、早々に退散するハメとなったのも今となっては良い思い出。

おでん こと
住所:島根県隠岐郡隠岐の島町港町天神原1-5 和食マップ
電話:08512-2-2397
営業時間:17:00~22:00
定休日:日曜
公式blog
cp5 mf6 re5

2011年5月30日月曜日

ライブの聴ける立呑や(難波屋)

予算¥2,800(男2人)(アサヒスーパードライ大瓶×2、難波屋チューハイ¥300×2、いいちこロック¥250×2、キズシ¥200、豚汁¥100、目玉焼¥100、肉豆腐¥200、ホルモン¥200、海老天ぷら(4尾)¥150、焼きうどん¥200)

 言わずと知れた西成の有名立呑屋。そのアテとサケの安さもさることながら、週末にライブが行われることでもその名を馳せている。
 その日も17時よりライブが行われるとのことで、店の奥から音合わせの合間に何処かで聞いたようなナンバーが流れてきたりしていた。今日の客層は、音目当ての人三割、いつも通りに呑み目的の人五割、音楽をアテにサケを楽しみたい人二割といった感じ。そしてボクの楽しみは、オト二割サケ三割ネコ五割といった感じであった。
 足元を彷徨くネコは、ここの飼い猫などではなく近所に住まうノラだというのにあまりに人慣れしすぎており、その客の顔を伺いながらうろつく様から、日頃から媚びを売りながら店に出入りしていることが窺い知れた。それでも場所柄ゆえか、愛想だけでご馳走にありつけるほど甘くもなく、皆、そのコのことを口の端に乗せはしても、自分のアテを減らしてまで分け与えようなどと云う人は一人としていなかった。もちろん、そんなことは解っております、とでも言いたげな顔を向けながら、少しでも可能性のありそうなボクへと甘えた声を向ける。〆鯖の切れ端を鼻先へと落とすが少しばかり鼻を寄せるだけで口をつけようとなどする素振りすら見せやしなかった。店員のおんなのこが、あら炊きを分けてあげると、美味しそうに貪っていく。
 「あまりあげるとクセになるから、もうおしまい」なんて言葉は気にも掛けずにカウンターへとよじ上り、大皿に盛られた魚の焚いたんを匂い始め、追い払われる。

 アテ良し、酒良し、音良し、猫良しな絶品立呑屋。そしてもちろん、今日もまた、呑みすぎ。


難波屋
住所:大阪府大阪市西成区萩之茶屋2-5-2 立呑マップ
営業時間:8:00~22:00
定休日:木曜
cp8 mf8 re6

2011年5月29日日曜日

隠岐温泉 GOKA

「初めてのご利用ですか?それでは説明させていただきます」
と入浴方法の説明から始まった。

 裸で入れるのは、五六人も入ればいっぱいの浴室だけで、奥は水着着用の混浴アミューズメントスペースとなっているらしい。100円でレンタル水着もあると云うが、汗を流し疲れを癒したいだけなので、奥へは入らないことにした。

 そんな話をおでん屋ですると、島前にある「海士温泉」もそのシステムだと云うことだった。
 温泉よりもプールが主というのが隠岐スタイルらしい。

隠岐温泉 GOKA
住所:隠岐郡隠岐の島町南方296-1
電話:08512-5-3200
入湯時間:14:00~20:00
定休日:月曜(祝祭日にあたる週は無休営業)
入浴料金:大人500円・小人250円・町内の70歳以上の方 身障者300円
泉質:ナトリウム-炭酸水素塩泉
効能:神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動マヒ、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、きりきず、やけど、慢性皮膚病
泉温:27.6度

2011年5月27日金曜日

おきづくり

 「おきづくり」なんて聞くと酒呑みとしてはついつい他に意味するもんを思い浮かべてしまいますが、ここで云う「おきづくり」とは、隠岐特有の神社建築様式の事です。切妻妻入茅葺と云った姿は、流石に出雲の影響を受けているな、と思わせますが、傍に近付いて見ますと、意外とそうでもありません。遠くからは気付きませんでしたが、妻壁より延びる取って付けたような片流れの向拝をも視野に入れると、その姿はむしろ、春日造に近しい感じがします。それでも、拝殿の前に掲げられた注連縄からは、出雲からの影響を感じさせられます。


 方二間の大社造は、3x3の計9本の柱が立ち並び、都合上、左か右に寄った形に扉が付いております。それに比べ春日造は、方一間や方三間ゆえに、シンメトリーなファサードとなっており、前面三間奥行二間のセンター扉の隠岐造との類似性がより一層際だつのかもしれません。そう云えば、大社造は身舎の中央に柱が在るために、神座に至るまで柱を回り込むような動線を取ります。それは、男性、女性の神を祀っているかで異なっていたと記憶しています。そのソースを明らかにしようと思い本棚を漁りましたが見付かりませんでしたので、ボクの思い込みに過ぎないのかもしれません。
 しかし、天御柱を女神男神が反対に廻って、なんてのは、「吾が身は、成り成りて成り合はざる処一処在り」に「我が身は、成り成りて成り余れる処一処在り、故、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて、国土を生み成さむと以為ふ、生むこと奈何」の伊弉諾命と伊弉冊命の挿話を連想せずには居られません。片や天津神であるイザナギにイザナミ。此方は大国主と国津神。侵略する側とされた側。歴史的にはそんな側面があるのかもしれませんが、伊弉諾命が死んだ妻の伊弉冊命を求め根の堅州国へと辿った「黄泉比良坂」が出雲と伯耆の境の比婆山と比定されていることを思えば、民族の制圧や文化の融合は、それほど激しいものではなかったのかも知れません。「実家に帰らせていただきます」と書置きを残し、家を飛び出した出雲民族のイザナミを追いかける日向民族のイザナギ。しかし連れ帰れずに追い返される、なんて妄想すると楽しくなってきます。
 随分と話が逸れてしまいましたが、今回もいつも通りに逸れっぱなしでおしまいです。


玉若酢神社
鎮座地:島根県隠岐郡隠岐の島町下西701 神社マップ
祭神:玉若酢命
神紋:五七の桐
旧社格:県社
神階:正一位
式内社、隠岐国総社

【国重文】
・本殿(H4.01.21指定)江戸後期(寛政5)
桁行二間 梁間三間 一重 切妻造 妻入 茅葺 向拝一間 片流れ 檜皮葺
・随神門(H4.01.21指定)江戸末期(嘉永5)
桁行三間 梁間一間 一重 入母屋造 茅葺

2011年5月26日木曜日

水若酢神社


 御祭神水若酢命は海中より伊後の磯島に上られ、山を越えてこの里に入られ、国土開発、北方防備の任に就かれた神と伝えられている。
 当社は昔、火災、水害の難にあい古文書社宝等ほとんど失われた為、由緒は明らかではないが延喜式神名帳に「隠岐国穏地郡水若酢命神社名神大」国内帳には、「正四位上、水若酢明神、隠岐一宮」と記されている古社である。
 鎮座年代は、僅かに残っている古文書には仁徳天皇又旧記には、崇神天皇の御代とあって、古来五穀豊穣、海島守護、航海安全の神として朝野の崇敬篤く明治四年国幣中社に列せられた神社である。

 水若酢神社本殿
 平成四年一月二十一日
 現在の本殿は寛政七年(一七九五)に建造されたもので平面の形は神明造りに、屋根は大社造りに、向拝は春日造りに似ている点もあるが「隠岐造り」と呼ばれる隠岐独特の造りで簡素で素朴な美しさを持ち、しかも威厳と風格を備えている。本殿は南向きで屋根は切妻造りの茅葺きで高さ十六メートルあり鬼板についている菊の御神紋は直径三十三センチある。平面形は前面三間、奥行二間、正面は引違木連格子戸で両脇は蔀戸で他は横羽目板張りになっている。
 内部は外陣と内陣に分けられている。
 屋根は九寸勾配で厚い所で六尺、薄い所で三尺である。
 向拝は片流れの栃葺で面取りの角材を用いている。
 屋根の葺替えは通常二十年毎に行われ、五尺縄で縛った茅約三千束を必要とする。

 この神社本殿は隠岐地方の特色である「隠岐造り」の代表的建築である。隠岐造りは、本殿が横に長い平面形をもつが、切妻屋根で妻入り、正面に向拝と呼ばれる庇をつける。また、この隠岐造りはひじょうに装飾性が高く、この本殿もその特徴が良く現れている。島後では玉若酢命神社本殿(西郷町)とならび、大規模かつ優れた建築を今に伝えている。現在の本殿は1795年(寛政7年)の再興で、五箇村北方の大工棟梁森寄与八が造営工事を担当した。
 本殿は正面3間、側面2間の身舎(本体部分)の前に正面3間の向拝をつけ、背面を除く三方に刎高欄付きの縁をめぐらし、正面中央に階段をつける。身舎の円柱は、床下部分のみ八角形につくり、礎石の上に立つ。柱上には井桁に組んだ敷桁・梁をまわし、さらにその上に桁行・妻梁を外側に持ち出して井桁に組む手の込んだものである。軒は一段(一軒)で、垂木の間隔が狭い繁垂木である。妻飾は、身舎正面は二重虹梁大瓶束、背面は四重虹梁大瓶束で、虹梁の間に平三斗(最下段は五つ斗)をすえ、装飾性がゆたかである。また、屋根は茅葺きである点も特徴のひとつである。
 向拝は、両端角柱の上には出三斗を、中央柱の上には平三斗をおき、身舎柱と海老虹梁でつなぐ。軒は二段となった二軒、屋根は栃葺の片流れ形式である。
 なお、隔年の5月3日に行われる神事「山曳き」は、2メートル四方のやぐらを太い縄で引いて歩くめずらしい祭礼で、県指定無形民俗文化財(水若酢神社祭礼風流)となっている。

水若酢神社
鎮座地:島根県隠岐郡隠岐の島町郡723 神社マップ
祭神:水若酢命
神紋:十六八重菊
旧社格:国幣中社
神階:正三位
式内社(名神大)、隠岐国一宮、別表神社

【国重文】
・本殿(H4.01.21指定)江戸後期(寛政7)
桁行二間 梁間三間 一重 切妻造 妻入 茅葺 向拝三間 片流れ 檜皮葺