2011年3月16日水曜日

中村城

 常磐線相馬駅の改札を潜り西へと足を向ける。ここ相馬を訪れたのは、中村城内に鎮座する相馬中村神社を参拝するためだった。
 駅前から真っ直ぐに続く道。ふたつめの信号で左に折れ、少しばかり進むと外堀の端へと出た。

 ここより内は城下町といった風情を留め置き、外には鳩のマークのスーパーマーケットや新建材を多用した住宅が、人人の増殖していく様を示しながら建ち並んでいた。
 もちろんボクは趣のある内側を手始めに散策しだしたのだが、用を足していこうという生理的な欲求と、この辺りの名産や地酒などを調べておきたいという知的探求心から堀を渡り、外側にあるヨークベニマルへと足を運んだのであった。

 見知らぬ街を歩くときに同じ道は辿らない、の法則により、更に県道228号を西へと向かっていった。なかなか城内に入られへんなと思いながら城跡を半周ほど回り込み、土塁の切れ目より誘い込まれるように城内へと侵入したのである。

 そこから先は、とても町中に居るとは思えないほどの土塁と空堀と切岸のオンパレード。ようやく切岸の上に社殿を認め、よじ登り、有刺鉄線を潜り抜けて、やっとこさ参拝といったていたらく。世が世であるならば、見事に討ち取られていたであろう程、疲労困憊したボクがそこに居た。


 当然、帰りは、大手門より大手を振って帰路に着く。

 そんなこんなで苦難も多かった"相馬"ではあるが、ボクの大好きな町のひとつ。一日も早い復興をお祈りいたしております。


福島県指定史跡
中村城跡

 中村城は一名馬陵場ともいわれる。
 古くこの地は大神山といわれ、中世にはその一部に館が構えられたこともあった。
 慶長十六年七月、相馬利胤が木幡勘解由長清を責任者として築城に着手し、十一月に完成、十二月二日小高城よりここに移った。以後明治初年に廃されるまで、約三百年にわたる相馬氏歴代藩主の居城として、藩政の中心となった。
 城の正面の東南部には外大手門がある。ここより中門跡を経て廊下橋を渡ると内大手門跡があり、本丸に達する。搦手門跡は、本丸の南東部に位置する。
 築城された慶長十六年に、天守閣が本丸南西隅に建てられたが、寛文十年落雷のため焼失した。その後は再建されていない。
 本丸のまわりには郭・濠・溜池・土塁・空濠などをめぐらし、二の丸を東・西・南・北に、三の丸を東・西・北に配している。更に岡田塁(岩崎塁)・西館・円蔵郭・お花畑・蓮池などをおき、この城をより堅固なものとしている。
 本城は大規模とはいえないが、築城当時の姿をよく残しており貴重である。

福島県教育委員会

相馬中村神社
鎮座地:福島県相馬市中村字北町140 神社マップ
電話:0244-35-3363
祭神:天之御中主神
神紋:九曜紋
旧社格:県社

【国重文】
・本殿(S58.01.07指定)寛永20 一間社流造、こけら葺
・幣殿(S58.01.07指定)寛永20 桁行三間、梁間一間、一重、両下造、こけら葺
・拝殿(S58.01.07指定)寛永20 桁行五間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、軒唐破風付、こけら葺
解説文:相馬の野馬追いの祭事で有名な相馬三妙見社の一つで、権現造の社殿である。本殿は一間社流造で、出組の組物を柱間中央にもいれ、軒下を賑わす。幣殿、拝殿は組物を出三斗とし簡潔に扱う。総体的に木割は太く力強い。寛永建立の正統的な遺構であり、この地方の社寺建築の指標的位置を占める。
相馬中村神社

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